【NTTデータ,ISID】共通レジュメ
目次
学歴
保有資格
自己PR_日本在学時_ゼミ活動
誰かの心を動かす喜び
大学では、ジャーナリズムゼミに所属しています。
東日本大震災から3年後、まだ高校生だった私がアメリカに留学した時、現地の学生から大震災について質問されても何一つ語ることが出来ず、日本人なのに日本のことを良く知らない不甲斐なさを感じたこと。これが、ジャーナリズムゼミに所属することになったきっかけです。
ゼミでは2度、福島第1原発周辺地域を取材に訪れました。人の姿のない帰還困難区域。避難解除されても人の戻らない町。まだ心の傷に苦しむ人々。震災から10年近くが経ってもなお復興とは名ばかりの現実に大きな衝撃を受けました。
「メディアが被災地の現状をあまり取り上げない中でもまだ震災は終わっていないことを沢山の人に伝えたい」という思いから取材内容をまとめた特集冊子を300部制作し、配布しました。
私は今年、取材・記事執筆に加えてその冊子作りのリーダーを務めました。掲載記事のページ割だけでなく、特集ページの内容、冊子全体のデザイン、写真のレイアウト等すべてを1から考えました。本格的な編集作業は初めてなうえ気を遣うことが膨大で苦労しましたが、ゼミ生の中心となって役割を割り振り、時には1日6時間以上作業を続け、冊子を完成させました。
取材先の方々から受けた「自分たちの生の声を届けてくれてありがとう」という涙が出るほど嬉しかった電話。冊子を手に取ってくれた方々から届いた「福島の知らなかった現状が知れた」という沢山の反響。さらに、驚くことに取材先周辺ではその冊子のことが口コミで広がり、震災や原発事故の貴重な記録として南相馬市立中央図書館に半永久的に保管・公開されることになりました。当初には予想もできなかった、大変名誉なことです。この経験から、自分の作ったものや伝えたいメッセージが誰かに届き、誰かの心を動かすことの喜びを感じられました。
自己PR_日本在学時_チャレンジ精神
変化に富む時代を生きる
私は横浜国立大学・都市科学部の第1期生、つまり学部の「パイオニア」です。「文理融合」をテーマに掲げた新学部で、都市科学、社会学、開発学、人類学、国際政治学、メディア学、建築学、環境リスク学など幅広い分野を勉強しています。
入試の際の過去問は一切なく、さらにまだ授業システムが完全に確立されていない新学部。あえて受験し、入学することは私にとって大きなチャレンジでした。しかし、インターネットやAIなど様々な技術の進歩を受けて世の中が常に変化に富んでいる今の時代だからこそ、狭い範囲の学問を勉強するのではなく、幅広い分野を横断的に勉強する必要があると考え、都市科学部の1期生となる道を選びました。この学部で、私は「文系・理系」といった既存の枠組みにとらわれることなく、イノベーション・変革に対応するための「チャレンジ」を継続しています。
新学部で何かを行う時にはもちろん先例がないことも沢山あります。しかし、そんな時は「自分たちが『先例』になる」という強い思いを持って新たな道を開拓してきました。
変化に富む時代の中で柔軟に生きる土台と、新しい世界に臆せず飛び込むチャレンジャー精神。これらを唯一無二の「都市科学部」で培うことが出来ました。
自己PR_留学経験_イベント参加
異国の地で増した『日本人としての誇り』
私は1年間のアメリカ交換留学中に、日本紹介のイベントを大学内で企画・運営しました。「古くからの慣習や歴史を今でも重んじている日本の姿をアメリカの学生に伝えたい」という強い思いがあったからです。当日は、日本文化に関するプレゼンテーションをしたほか、屋台形式で日本食を現地の学生300人以上に振る舞いました。
異国の地で、外国人の私が大きなイベントを企画することに不安はありましたが、知り合いの日本人や日本好きな現地の学生たち大勢に積極的に声をかけて協力をお願いした結果、30人ほどのメンバーが集まりました。企画の意見出しや役割分担の話し合いを皆で繰り返し、構想段階だったイベントは徐々に形になっていきました。最終的には予想をはるかに超える数の学生がイベントに足を運んでくれ、中には「このイベントのおかげで日本にもっと興味を持った」と声をかけてくれる学生までいました。
異国の地で日本文化を伝えるという目的を果たせた「達成感」、仲間との「チームワーク」、そして日本人としての「誇り」を同時に得られた、最高の経験でした。
また、この時に日本に興味を持ってくれた現地の学生とは今でもコンタクトを取っており、この夏日本に来てくれた人には日本のおススメの場所を案内しました。これからもずっと続いていく友人関係も、このイベントをきっかけに築き上げることが出来ました。
自己PR_留学経験_諦めない気持ち
磨いた「諦めない強さ」
私は交換留学中、主にジャーナリズムの大学4年生レベルの授業を履修していました。授業の主な目的は「クリティカルシンキングスキル、ライティングスキルの養成」。毎週、現地の学生ですら驚くほど大量のリーディングとエッセイが課されました。
そもそも大学入学当初には不十分だった英語力を「絶対にアメリカでジャーナリズムを学びたい」という熱意で留学基準まで引き上げ、交換留学の権利を掴み取った私。最初は授業についていくことすら困難でした。自分の英語が通用しない場面に何度も直面し、悔しい思いをしました。
しかし、「諦めない気持ち」を忘れることはありませんでした。友達や教授からの助けを受けながら、人一倍の努力を繰り返しました。その結果、最終的にはネイティブの学生でも驚くほどの宿題量を1年間こなし続けられました。しかも、「障がいを持つ映画キャラクターの分析」がテーマのプロジェクトや、「ゲームをやめられない学生の分析」がテーマのエッセイは「優秀作品」として教授に紹介されたりと、思ってもみなかった高い評価を得られました。「諦めずに努力してきて良かった」という達成感でいっぱいになりました。